
上月院長あいさつ
history of the company
こんにちは、院長の上月直之(こうづき なおゆき)です。
僕は大学の工学部に在学中、人の命を守る医師の仕事に価値を感じ、卒業後に医学部へ進学しました。そして医学部の学生実習で「眼科」に強く惹かれ、眼科医になることを決意。工学の知識と医学が融合する眼科の世界は僕にとって魅力があり、とてもやりがいを感じる分野です。ここでは僕の子ども時代をはじめ、大学の工学部在学中に医学部を目指すことになった出来事や眼科医としての歩み、開業から現在に至るまでをお話しします。
1.子どもの頃から“理数系”
僕の出身地は自然豊かな城下町である兵庫県姫路市。サラリーマンの父、専業主婦の母、妹の 4 人家族で育ちました。子どもの頃から数字や機械に興味があり、中学・高校では「数学」「物理」が得意科目。インターネットが今のように普及していない頃からパソコンに夢中で、お年玉を貯めて買ったパソコンを電話回線につないで楽しんでいました。そして将来はゲームや工学系製品の企画・開発に携わることを考えていました。
子ども時代から機械好きだったことが影響しているのでしょうか、今でも眼科の学会で最新の器械を見るといつもワクワクします。
2.工学部から進路変更、医学部へ
神戸大学工学部情報知能工学科 4 年生の頃、中学生の親戚が「潰瘍性大腸炎」という難病指定の病気を患いました。それまで病気とは無縁で育った僕はショックを受け、そして「人の命を守る」仕事にかけがえのない価値を感じました。そこで信頼のおける人たちに相談し、進路を変更、医師を目指すことに決めたのです。姫路には岡山大学の関連病院がいくつかあり、将来は地元に帰ることも視野に入れ、岡山大学医学部を目指し、勉強を始めました。
もともと勉強することが好きだった僕は卒業から 1 年後に医学部へ進学。振り返ると、この期間に学び直すことで新たな発見があり、勉強自体がとても楽しかったことが思い出されます。
現在、毎朝 6 時に起床し、勉強と筋トレをそれぞれ 1 時間行って出勤することを日課としています。これが守られているのは受験勉強を通じて身につけた“ルーティン”のおかげかもしれません。
3.工学に通じる「眼科」の魅力
岡山大学医学部入学後はバドミントン部に入部し、勉強と部活の毎日。当初は内科医を目指していましたが、各診療科をローテーションしながら臨床実習を行うポリクリ(学生実習)で僕が惹かれ、適性を感じたのは「眼科」でした。眼科は数多くの検査器機にあふれ、眼の構造自体が光学系で、さまざまな計算式を駆使して視力を出すように考える科目。非常にワクワクしました。
こうして眼科医になることを決意した僕は卒業後、救急医療の研修で有名な横浜市立市民病院で初期研修を行い、救急医療、内科、外科などに従事しました。救急医療の現場で学びたかった理由は眼科に進むと人の命に向き合う機会が減るかもしれないという思いがあったからです。その後、慶應義塾大学眼科学教室に入局。慶應を選んだのは当時の教授、坪田一男先生が掲げる「人の可能性を拓く」というミッションに共感し、医局のオープンな雰囲気に魅力を感じたからです。
4.独立開業し、医療法人を設立。複数院を経営
入局した慶應義塾大学眼科学教室をはじめ、関連医療機関の済生会中央病院眼科、鶴見大学歯学部附属病院眼科学教室などに勤務していた僕は難症例も含め、非常に多くの白内障手術を執刀。緊張感のある手術の場数も踏み、経験を積んできました。
眼科は大学病院と同じ診療ができるため、多くの患者さんに貢献できるよう、いつか自分のクリニックを持ちたいと考えていたところ、世田谷区経堂にご縁があり、2018 年に「経堂こうづき眼科」を開院しました。小田急線「経堂」駅に隣接したコルティ内にあり、駅から約 1 分で駐車場もあるという便利な立地です。週末はイベントが多く、施設全体がバリアフリー仕様になっている点も患者さんに好評です。
また、「医療法人社団 慶月会」を設立し、2021 年には「王子さくら眼科」(東京都北区)、2022 年には「経堂白内障手術クリニック」を開院しました。
5.地域のニーズに応えるため、白内障手術の専門クリニックを開業
白内障は眼の水晶体が年齢とともに白く濁り、視力が低下する疾患です。加齢現象なので人間であれば全員が白内障になり、日本では年間 150 万件以上の白内障手術が行れています。
人間が知覚する情報のうち、視覚から入るものは 90%以上と言われ、視覚から得た情報が減ることにより、認知症に繋がるという論文が数多く発表されています。そのため 75 歳を超えたら、そこまで白内障が進んでいなくても手術を検討した方がよいとも言われています。かつては手術にリスクがありましたが、現在では技術のめざましい進歩により、手術の安全性は非常に高まりました。片眼 10 分程度で手術は終わり、痛みもほとんどありません。
さらに、白内障手術では「多焦点眼内レンズ」を用いることで、老眼の改善も可能です。遠近両方の視力を改善できるため、手術後の生活の質が大きく向上します。
当院では地域のニーズに応え、経堂こうづき眼科の近所に白内障手術の専門クリニックを立ち上げ、王子さくら眼科と合わせて年間 1,000 件を超える手術を行っています。
なお、当院の白内障手術は僕が人間性と技術に絶大な信頼を寄せている複数人の専門医が執刀しています。正直に言うと、僕自身も白内障の手術を行うべきかどうか、ずいぶん悩みました。その理由の1つは、院長としてクリニック全体の運営やマネジメントに時間を取られることも多く、集中して手術に取り組むのは難しい…という現実があったからです。
もう1つの理由は白内障手術を専門にしている医師たちが精度の高い技術を提供しているという事実です。彼らは最新の技術に精通し、毎日のように数多くの手術を経験している分、(もともと成功率が高い)白内障手術がより高い成功率になります。そこで患者さんのためにベストな選択をするなら、やはり自分自身が信頼でき、優れた技術を持つ専門医に任せるのが最良という考えに至りました。その判断は正解で、白内障手術専門クリニックを開院後、手術を受けた患者さんからは「受けて良かった」「よく見えるようになった」と喜びの声をいただいています。
6.最新の医療技術と知識を駆使し、さまざまな疾患に注力
●定期検査が重要な緑内障
僕が日々診療するなかで、白内障と同じくらい多く診ているのが緑内障の患者さんです。日本人の失明原因1位である緑内障は眼の視神経が徐々に障害を受けることで視野が狭くなる疾患。初期には自覚症状がほとんどなく、気がついた時には進行しているケースが多いのです。
緑内障は放置すると失明するリスクがあるため、早期発見と治療が重要です。遺伝的な影響もありますが、40 歳以上では約 20 人に 1 人、70 歳以上では約 10 人に 1 人が緑内障を抱えていると言われています。治療法には眼圧を下げる点眼薬、レーザー治療、手術などの選択肢があります。
そこで、僕が患者さんに強くお伝えしているのは定期的な検査の重要性です。とくに OCT 検査(網膜や視神経の詳細な画像を撮影する検査)は緑内障の進行を的確に診断できるので、治療方針を正確に立てることができます。僕自身、この検査を行うことで最善の治療を提供できていると感じています。
●手術直後から裸眼で生活できるICL
最近、視力矯正の方法として、ICL(眼内コンタクトレンズ)が注目されています。ICL の特徴は、レーシックと違って角膜を削らないことです。眼内にレンズを挿入することで視力を矯正するのです。精密な検査を行い、最適なレンズを選定することで、患者さん一人ひとりに合わせた治療が可能になります。手術は局所麻酔で行い、痛みがなく、10分程度で終わるため、多くの方が安心して受けられる治療です。
眼科医は ICLやレーシックを受けないといわれます。その理由は多くの眼科医がICLやレーシックを実際に見たことがないのが原因だと思われます。多くの大学病院や総合病院ではそれらを行わないので、見たことないものに対する拒否反応が出てしまいます。僕がいた慶應大学ではレーシックもICLも行っていたため、最初から僕は肯定的な考え方でした。僕は研修医の頃にレーシックを受けましたし、後輩の眼科医のなかには ICL を選ぶ人も増えています。(ちなみに僕は今もしっかりと見えており快適です。僕がレーシックを受けた時にはまだICLは一般的ではなかったのです)
また「人生でやってよかったこと」のひとつに ICL を挙げる人も多いです。ICL の最大のメリットは、手術直後から視力が改善し、裸眼での生活が可能になること。とくに災害時に眼鏡やコンタクトがない状況で視界が確保できることは、大きな安心につながります。
●進行の早い子どもの近視は早期対策を
近年、子どもの近視は増加傾向にあり、とくにアジア圏ではその進行が問題視されています。僕のところにも多くの子どもたちが治療にやって来ます。近視は遺伝もありますが、スマートフォンやタブレットを手元で長時間使用する生活習慣や外遊びが減っていることが大きな要因です。若年層の近視は進行が速くなる傾向があり、強度近視になるリスクが高くなります。強度近視が進むと網膜剥離や緑内障、黄斑変性といった重大な疾患につながるため、早期対策が重要です。
見え方を改善するのは「眼鏡」や「コンタクト」の使用ですが、それだけでは近視がどんどん進んでいくことが多いです。最近では近視の進行は抑えられるとされており「オルソケラトロジー」「レッドライト」「マイオピン」などがそれにあたります。効果が高いので、興味がありましたら僕のYoutubeやホームページをご覧ください。
子どもの近視は進行が早い傾向があるため、早めに適切な治療法を選択することが重要です。僕自身、患者さんや親御さんとじっくり相談しながら、一人ひとりに最適な治療を一緒に見つけていきたいと思っています。
7.眼の病気や治療方法についての知識を発信するYouTube
診療の際、大切にしているのは、患者さん一人ひとりに寄り添い、わかりやすい説明を行うことです。検査で撮影した写真やモニターを見せながら、専門用語をできるだけ避け、丁寧に症状や治療についてお話しするよう心がけています。
また、眼の病気や治療方法について正しい知識が広まることで眼科について関心を持ってほしいという思いから、YouTubeを始めました。当院の患者さんにも動画を何度もご覧いただくことで、治療や症状について理解を深めてほしいと思います。
最近、他のクリニックを受診した患者さんから「説明がわかりづらかったので、先生の YouTube を見て興味を持ち、来院しました」と言われることがあります。そんな声をいただくと、YouTubeでの情報発信が眼科の知識を広める一助になっていることを実感します。
8.眼科医療を通して患者さまの毎日に喜びを
「医師は一生勉強」と言われますが、僕自身、常に最先端の技術や知識を持って診療にあたることがとても大切だと感じています。眼は患者さんの生活の質に直結する、とても大切な部位です。常に効果のある治療を提供できるよう、大学病院並みに精度の高い器械を取り入れ、学会にも積極的に参加しています。学会会場には最新機器が多く並んでいるため、毎回それを楽しみにしています。また、眼科医の仲間たちともよく会うのですが、彼らとの最新の医療情報についての交換は技術や知識を深めるだけでなく、患者さんにより良い治療を届けるための原動力になっています。
診察室には、よく子どもの患者さんが来てくれます。なかには眼科に興味を持ってくれているのか、着眼点の良い質問を投げかけてくる子どもがいます。そんな時、僕はとても嬉しくなり、彼らの純粋な好奇心に応えたい一心で、丁寧に説明することを心がけています。将来、そんな子どもたちが眼科をはじめ、眼や視覚などに関わる分野で社会に貢献する日が来るかもしれない…。そう思うと胸が熱くなり、言葉では言い表せないほどの希望を感じます。
また、地域全体の医療がしっかり機能するよう、近所の医師たちと情報交換も行い、地域の皆さんに安心して医療を受けてもらえる環境を作り続けています。
医療法人社団慶月会の沿革
history of the company

1982年
兵庫県姫路市にて産まれる。両親は大学に行っておらず、親戚にも医者はいなかった。
幼い頃は祖父に憧れ、小学校の先生になりたいと考えていた。
神戸大学工学部を卒業後、岡山大学医学部に進学。
昔から機械やテクノロジーが好きだったこと、また教員免許の取得を考えて工学部に進学。
大学4年のときに親戚が病気になったことをきっかけに、医師を志す。
岡山大学医学部を卒業後、横浜市立市民病院にて初期研修を行う。
救急外来では、頭痛や風邪・心臓発作や重度の交通事故まで、さまざまな患者さんと向き合う。
慶応大学で白内障手術から硝子体手術、レーザー治療など様々な手術を経験。
また、途中シカゴに留学へ。
鶴見大学歯学部附属病院の眼科へ。角膜移植や酷いアレルギー疾患の患者を診察。
その他毎週多くの白内障手術を執刀。
2018年10月
経堂こうづき眼科開院。
開院当初は「経験者」という点を重視した採用を行っており、スタッフ教育に関してのマニュアルがなかった。そのため、スタッフの辞職が相次ぎ、クリニック全体が悪いムードに。
これらの経験から、採用と教育に関して見直しを行い、スタッフ全員がストレスなく働ける職場を目指していく。
2020年2月
医療法人社団慶月会設立。
採用は、経験よりも「コミュニケーションをしっかり取れる方であること、他の人を思いやる心を持って人と接することができる人」を重要視する。また、未経験でも順を追って仕事を覚えていけるシステムを作り上げる。
「スタッフの物心両面の幸福」を突き詰めることにより、働きやすく、クリニック全体の雰囲気が良くなっていく。
2021年2月
王子さくら眼科開院。
理想の医療ができていたため、その医療をさらに多くの人に届けたいという想いから北区王子駅前に王子さくら眼科を開院。
2022年2月
経堂白内障手術クリニック開院。
経堂では開業時より手術を行いたいと思っていたが、面積の関係で手術室を作ることは叶わなかった。
2022年2月、ついに近隣物件を抑えることができ、経堂でも白内障手術・眼瞼下垂手術などを開始。
2024年2月
地域の患者様のことを考え、ICL手術(近視治療)を開始。
20XX年
今後、更に多くの人の目の健康を守るために更に成長していく。
詳しい上月院長の経歴はこちら
20xx年 理系大学卒業後、医学部へ
私は、兵庫県姫路市に生まれました。田舎育ちである私の両親は大学にも行っていません。親戚に医療関係者もおらず、将来は「医師になりたい」なんてことを思うこともなく地元公立の小学・中学・高校に進学しました。
祖父が小学校の先生だったことから、小さい頃私は学校の先生になりたいと思っていました。昔から機械やテクノロジーが好きであり、教員免許の取得も考え、大学は神戸大学工学部へ進学しました。子供の時から、自身が病気になることもなかったため病院には行ったことがありませんでしたが、大学4年時に親戚が病気になったことから、初めて病院に行くという経験をしました。
そこで、医師が働く姿を見て人を助けることができる医師という職業に憧れをもつようになりました。
その時はちょうど大学院を受験しようと思っていた時期で、工学部の勉強内容はとても面白かったのですが、自分が社会にどのように役に立つのだろうかと真剣に考え始めていた頃でした。
将来の自分についてずっと考え、医師という職業であればより社会に貢献できるのではないか。そう思い、医師になることを志しました。
「これまでの時間が無駄になるかも」という迷いや悩みもありましたが、家族や周囲の応援もあり、神戸大学を卒業後、大学院には行かず、高校生に混じって再度大学受験をし、岡山大学医学部へ進学しました。
大学一年生からやり直しです。

医学部入学後はバドミントン部に所属し、部活に明け暮れる2回目の学生生活を再スタートしました。医学部の勉強はとても楽しく、いろいろなことを学ぶことができました。医師を目指すきっかけとなったのは、親戚が消化器の病気にかかったからということもあり当初は内科へ進もうと思っておりましたが、医学部5年生の眼科の実習時に「眼科」に魅了されました。
- 検査機器・手術機械がどんどん発展していること
- テクノロジーで検査・治療を行うようになってきていること
これらを目の当たりにし、眼科という学問の進化にワクワクさせられました。
工学部出身の私は、もともとテクノロジーが好きであったこともあり自身の適性は眼科にあると確信し、専門科を眼科に決めました。
20xx年 眼科専門医を目指す

私が心に決めた眼科専門の医師になる道は、医学部6年間の勉強を経て始まりました。
卒業後はどこで眼科を学ぼうかと考えました。私は兵庫で生まれ、神戸と岡山で大学生活を過ごし、東京にはほぼ来たことがありませんでした。しかし、高校や神戸大学時代の同級生が東京で就職し、東京に時々訪れるようになりました。東京の高層ビルからの夜景の美しさに魅了され、一度東京に住んでみたいと思い、そのような動機から東京で初期研修・後期研修を行おうと考えました。

眼科を学ぶためにはどこかの大学に所属しなければなりません。岡山大学の眼科の先輩にアドバイスをもらいながら、夏休みを利用し東京の大学の眼科を複数見学に行きました。そのときに訪れた慶應大学眼科学教室が診療・教育・研究ともに大変盛んで、当時教授であった坪田一男先生の「人の可能性を拓く」というミッションに感銘を受け慶應大学眼科学教室に進みたいと思いました。
医学部卒業後、2年間は初期研修医としてどこかの病院で研修しなければなりません。
将来は慶應眼科に行くとして初期研修をどこの病院で行おうか考えました。医師になったのだから眼科知識だけでなく、眼の前の人が倒れたときにも適切に対応できるようになりたいと強く思い、救急が勉強できる病院で研修したいと考えました。
ちょうど慶應大学の関連病院でもあり救急医療で有名な横浜市立市民病院を志望し、マッチングすることができました。救急外来では、頭痛や風邪・心臓発作や重度の交通事故まで、さまざまな患者さんと向き合いました。現在のように労働基準法も守られていない時代でしたので、48時間以上連続勤務をしたこともありました。病院に行かなかった日はほとんどありません。

その経験は辛く厳しいものでしたが、それぞれの患者さんと共に、私自身も成長する機会になりました。
初期研修が終わった後、予定通り慶應大学医学部眼科学教室に入局しました。”医局” とは、大学病院の診療科におけるチームのことを指し、そこには数多くの優秀な同期がいました。私たちは互いに競い合い、診察や手術、研究に没頭しました。慶應大学では13人の同期と共に日々の診療を行い、合間に研究も行い学会発表なども行ってきました。
途中シカゴへ短期留学し、アメリカの眼科医療や手術にも触れてきました。日本と違い医療費が高額なため限られた人しか最新の眼科医療は受けられません。なんとなく知ってはいましたが、実際に触れると日本はなんと恵まれた国なのかと実感しました。逆に1人の眼科医が診る患者さんの数も圧倒的に少ないです。ですので若い医師の経験のなさにも驚きました。

大学で研修を終えた後は硝子体手術で有名な済生会中央病院へ出向となりました。東京タワーの真下にある病院です。秋篠宮殿下が総裁である済生会は「生活に困り、医療、福祉を受けられない人々にも救いの手を差しのべるように」というお言葉から創設された組織であり、港区のど真ん中にも関わらず様々な病気の患者さんが受診されました。
私は白内障手術から硝子体手術、レーザー治療を数多く行ってきました。
その後、角膜疾患や眼アレルギー疾患で有名な鶴見大学歯学部附属病院の眼科へ異動となりました。鶴見では角膜移植や酷いアレルギー疾患の患者さんを多く診て、毎週多くの白内障手術を執刀してきました。外科ではチームプレーで複数人医師がいないと成り立ちませんが、眼科では1人の医師の技量や能力でほとんどの手術や治療が可能です。ですので手術を行っている眼科開業医が多く、大病院よりも眼科開業医の方が良い機械で検査や手術を行っているということも珍しくありません。
自身でより良い医療を患者さんに貢献したいと考えるようになり、開業することを強く志すようになりました。
2018年 クリニック開業、失敗からの学び

2018年開院当初は、過去に医療事務経験があることのみを重視してスタッフを採用していました。
ただ、経験者だけでなく未経験者も採用する中で、私のスタッフ教育に対する考え方が甘かったため未経験者への指導は経験者にほとんど丸投げでした。そうしたところ、未経験のスタッフの辞職が続出してしまいました。これは経験者の指導が厳しすぎたからだと考えます。
スタッフが減ると心身ともに皆の余裕がなくなり、クリニック全体がギスギスしてしまい、それが患者さんに伝わってしまいGoogle評価に悪い評価をつけられたりと大変辛い時期でした。
自分が作りたいクリニックはどういうところなのか、皆が居心地のよいクリニックはどういうところなのかということを、この時改めて真剣に考えました。
スタッフの辞職が出てしまったのは、
- 未経験者でも成長できる教育システムをしっかりと作れていなかった
- 採用の優先度が「経験」のみを重視していた採用基準であったこと
これらが理由だと行き着きました。
そのため、理念にも書いたようにスタッフ採用は経験の有無だけではなく、
- コミュニケーションをしっかり取れる方であること
- 他の人を思いやる心を持って人と接することができること
以上を採用基準の最優先としました。
また教育システムの充実を行い、順を追って仕事を覚えていくようなシステムを2年かけて作り上げました。後ほど教育体制の中でも説明しますが、これによって医療事務未経験者の方もストレスなく成長することができるようになっていきました。
現在、当法人では、医療事務経験ではなく、むしろ色々な社会経験を積まれていることを重要視して採用をしています。実際に今は他業種の経験を積まれた方や新卒の方がメインに入職されて活躍しています。
スタッフの雰囲気はとてもよく、楽しくクリニック経営が出来るようになりました。
以上で当法人の沿革や過去について理解して頂けたかと思います。次に、将来性や未来についてお話させて頂きます。